華族で外交官の武者小路公共は、1887年(明治20年)に父の死去により家督と子爵位を継承。学習院高等科を経て東京帝国大学法学部卒業後、1907年(明治40年)に外務省に入省。上海総領事館から始まり、ルーマニア、デンマーク、スウェーデンなどで公使を歴任。1933年(昭和8年)に駐トルコ大使、翌年には駐ドイツ大使を兼任し、日独防共協定の交渉に関与した。1938年(昭和13年)に外務省退官後、宮内省宗秩寮総裁を務めた。戦後はGHQにより公職追放を受けたが、1951年(昭和26年)に追放解除後、日独協会会長を務めた。没後、正二位に叙せられる。








