平安時代末期の武士で、後白河院の近臣として活動。斎院司次官の長男として生まれ、今様を通じて後白河上皇の寵愛を受ける。仁安2年(1167年)、衛門尉や検非違使に任じられ、熊野御幸にも供奉。安元元年(1175年)には相模守として浄土寺に後白河法皇を迎える。治承元年(1177年)の鹿ヶ谷の政変で一度は解官されるが、後白河法皇の懇願で釈放。しかし、治承三年の政変で再び解官され、伊豆国に配流される途中で逃亡するも捕らえられ、拷問の末に殺害された。死後、妻は後白河法皇に出仕し、覲子内親王を生む。業房の肖像画は現存していない。
主な祖先
平業房の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















