江戸時代前期から中期にかけての公卿である柳原資廉は、正保元年(1644年)に京都で生まれる。慶安3年(1650年)に叙爵され、明暦3年(1657年)に元服後、後西天皇に拝謁。寛文12年(1672年)には蔵人頭、翌年には参議・右大弁に昇進。天和元年(1681年)から貞享4年(1687年)まで権大納言を務め、武家伝奏として幕府と朝廷の折衝を担った。元禄14年(1701年)の赤穂事件では、勅使として儀式を滞りなく進行させたことで知られる。正徳2年(1712年)に69歳で薨去し、京都市上京区の浄福寺に葬られた。長期間にわたって日記をつけたことでも知られる。











