古墳時代の豪族、紀男麻呂は、欽明天皇23年(562年)、新羅を攻めるための大将軍として朝鮮半島に派遣された。任那への新羅の攻撃に対して、百済と協力して新羅軍を破った。用明天皇2年(587年)の丁未の乱では、蘇我馬子側につき、物部守屋を討つ。崇峻天皇4年(591年)、再び大将軍として任那再興を目指し筑紫まで進軍したが、崇峻天皇の暗殺により進軍は中止。推古天皇3年(595年)には都に帰還した。紀博世の父が男麻呂であるとする説もある。
主な祖先
紀男麻呂の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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