菊池重安の子として生まれ、延徳3年(1491年)に生を受ける。永正元年(1504年)、はとこの菊池能運の死去を受け、14歳で菊池氏の家督を継ぎ肥後守となる。しかし、若年であることを理由に肥後の国人衆が反発し、永正2年(1505年)に阿蘇氏や大友氏と共謀して政隆を廃立しようとする。永正4年(1507年)、居城を追われて逃亡し、相良氏を頼るも助力を得られず、最終的には筑後で再起を図る。永正6年(1509年)、大友氏の攻撃を受けて捕らえられるが、旧臣に助けられ久米安国寺に籠る。しかし、同年閏8月17日に久米原合戦で再び敗北し自害。享年19。法名は厳銷院天仙源祐居士。墓所は久米安国寺にある。








