戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。永禄元年(1558年)に龍造寺氏が小田政光を滅ぼした際、小田氏の居城であった蓮池城を接収し、後に政光の遺児・鎮光を赦免して城主とした。永禄6年(1563年)、多久宗利を下して梶峰城を奪い、城主となる。永禄11年(1568年)には蓮池城を居城とし、宗教勢力との関係を深めた。龍造寺氏の領国において軍事物資の調達を担当し、自らの拠点であった多久が材木供給地に近接していたため、隆信は肥前西部進行に際して彼を用いた。鍋島氏への権力移譲も容認し、嫡男・安順が初代多久領主となる。

