江戸時代後期の大名である松前崇広は、蝦夷地松前藩の第12代藩主として知られる。幼少期から武術や蘭学を学び、西洋の技術や文物に強い関心を持っていた。嘉永2年(1849年)に藩主となり、北方警備のため松前城を築城。安政元年(1854年)、幕府の政策変更で藩領を一部失い、財政難に直面したが、文久3年(1863年)には寺社奉行、元治元年(1864年)には老中に任命されるなど幕府の要職を歴任。慶応元年(1865年)に独断で兵庫開港を決定し、朝廷から官位剥奪と謹慎を命じられる。慶応2年(1866年)に松前で死去。享年38。






