室町時代中期から後期の浄土真宗の僧。光善寺住持であり、本願寺8世法主蓮如の長子。14歳で母を失い、17歳で得度を受ける。寛正6年(1465年)の寛正の法難後、父蓮如の後継に指名されるが、延暦寺の圧力で一時廃嫡される。文明元年(1469年)には園城寺を説得し、大津南別所に顕証寺を建立。文明7年(1475年)には加賀門徒と守護との対立に関与し、蓮如と共に本願寺再興を計画。文明13年(1481年)には仏光寺派の内紛に関与して本願寺受け入れを実現するも、文明15年(1483年)に42歳で病死。見識に溢れ豪放な人柄で、酒好きが寿命を縮めたとされる。義政による「裸舞い」の逸話も伝わる。











