江戸時代前期の紀州藩附家老であり、紀伊新宮領第2代城主を務めた。12歳で徳川家康に拝謁し、第2代将軍・徳川秀忠に近侍。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では小姓組として従軍し、戦功を挙げた。元和7年(1621年)に父が没すると、家督相続を巡る不満を抱えつつも、最終的に家光の説得を受けて家督を継いだ。紀州藩内での附家老の役割は縮小しつつも、幕藩交渉において重要な役割を果たした。寛永17年(1640年)には藩政の改造が試みられ、家老の合議制や藩主権力強化が図られた。万治元年(1658年)に隠居し、寛文8年(1668年)に73歳で死去。墓所は鎌倉の高松寺にある。



