承応3年(1654年)生まれの瀬川正長は、備中国足守藩の家老として活躍した。寛文2年(1662年)、家老並の瀬川正方の養子となり、瀬川半平として150石を受領。寛文6年(1666年)には家督を継ぎ、400石を給わる。延宝2年(1674年)に家老に就任、延宝7年(1679年)には木下姓を許され木下玄蕃に改名。天和元年(1681年)には加増され500石となる。元禄14年(1701年)には藩主木下公定に従い、播州赤穂城の受け取り役として赤穂を訪れる。享保5年(1720年)に隠居し、石也と号した。子孫は代々家老を務め、杉原家の屋敷は岡山県重要文化財として保存されている。享保13年(1728年)に75歳で病没した。

