南北朝時代の守護大名である。美作国と紀伊国の守護を務めた。正平21年/貞治5年(1366年)に美作守護に任命され、天授4年/永和4年(1378年)には紀伊で南朝方の討伐を指揮した。元中8年/明徳2年(1391年)、山名氏の弱体化を狙う足利義満の策略に巻き込まれ、明徳の乱で甥・満幸と弟・氏清が挙兵。義理は紀伊にとどまり参戦せず、乱後に所領を没収される。元中9年/明徳3年(1392年)、大内義弘の攻撃を受け、紀伊から脱出し興国寺で出家した。その後の消息は不明だが、孫の山名教清が後に大名として復帰した。











