奈良時代の遣唐留学生である阿倍仲麻呂は、若くして学才を称賛され、霊亀3年(717年)に第9次遣唐使に同行し唐に渡った。唐の太学で学び、科挙に合格または推挙され、玄宗皇帝に仕えて高官に登る。唐の朝廷では主に文学畑の役職を務め、李白や王維らと親交を深めた。帰国を願うも叶わず、唐での官途を追求。天平宝字4年(760年)には安南都護・安南節度使を務め、その後も唐で活躍を続けたが、日本に帰ることなく宝亀元年(770年)、唐で生涯を閉じた。彼の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」は百人一首にも収められている。




