平安時代中期の貴族である藤原元命は、尾張守として知られる。永延2年(988年)には尾張国で百姓たちによる訴えが起こり、彼は苛政の責任を問われた。永祚元年(989年)にはその問題が朝議で審議され、尾張守の職を解かれた。「尾張国郡司百姓等解文」は当時の地方行政の詳細を示す貴重な史料であり、元命の苛烈な統治を批判する内容が含まれている。後世の説話では悪評が伝えられ、「地蔵霊験記」などでその名が記される。しかし官界から完全に退いたわけではなく、その後も役職に就くことがあった。彼の子孫も受領の家として続き、地方行政に関わる家系となった。











