鎌倉時代初期の女流歌人である弁内侍は、『弁内侍日記』の作者として知られ、女房三十六歌仙の一人に数えられる。寛元元年(1243年)に後嵯峨天皇の皇子久仁親王が東宮となると、春宮弁として出仕。東宮が即位して後深草天皇となると内侍に任じられ、妹の少将内侍と共に幼帝に仕えた。正元元年(1259年)の譲位とともに職を退いたが、『続後撰和歌集』などに和歌を残している。文永2年(1265年)に妹の死を機に出家し、晩年は叡山の麓で過ごした。建治2年(1276年)の『現存三十六人詩歌』には姉と共に名前が挙げられており、姉より長く生きたことがわかる。











