光孝天皇の第七皇子として生まれ、元慶8年(884年)に源姓を賜り臣籍降下。仁和3年(887年)、父の重態を受けて皇太子に立てられ、その日のうちに践祚し第59代天皇となった。即位後は関白藤原基経を重用し、政務を委ねたが、基経の辞任を招いた「阿衡事件」で苦境に立たされた。寛平3年(891年)に基経が死去すると親政を開始し、改革を進めた。文化面でも歌合などを通じて国風文化の発展に寄与。寛平9年(897年)、皇太子敦仁親王に譲位。昌泰2年(899年)には出家し、法皇として真言宗に深く関わった。晩年は政治的影響力を維持しつつも仏道に専心し、承平元年(931年)に崩御した。宇多源氏の祖としても知られる。





















