後冷泉天皇は第70代天皇として寛徳2年(1045年)に即位し、治暦4年(1068年)に崩御した。治世では荘園の増加による国家財政の危機が問題となり、即位早々に荘園整理令を発布したが、結果的には権門を擁護する形となった。特筆されるのは三后並立という特異な状況で、東宮時代からの妃章子と関白藤原頼通の娘寛子、さらに関白教通の娘歓子が同時期に后妃とされた。崩御後、異母弟の後三条天皇が即位し、藤原氏を外戚としない皇統が復活した。陵は京都市右京区の龍安寺内にある圓教寺陵と定められている。
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後冷泉天皇の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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