宇多天皇の第三皇子として生まれ、出家前は斉世親王と称された。寛平元年(889年)に親王宣下を受け、醍醐朝では兵部卿や上総太守を歴任。しかし、延喜元年(901年)に兄・醍醐天皇への譲位計画に関与した疑いで地位を剝奪され、仁和寺に入って真寂と名乗り出家した(昌泰の変)。その後は修行に専念し、灌頂を7回受けた。最終的には円成寺に移り、延長5年(927年)に42歳で薨去した。出家の時期については異説があり、延喜元年説と延喜5年説がある。醍醐天皇の後継問題が解決するまで出家が延期された可能性があるとされる。










