長和3年(1014年)生まれの藤原生子は、後朱雀天皇の女御であった。関白藤原教通の長女であり、母は藤原公任の娘。長暦3年(1039年)に後朱雀天皇のもとに入内し、すぐに女御となるが、寛徳2年(1045年)に天皇が譲位すると内裏を退出した。天喜元年(1055年)に出家し、後朱雀天皇との間に子供はいなかった。治暦4年(1068年)に死去し、宇治陵に葬られた。藤原頼通と正室の間に子がいなかったため、祖父の道長は教通の娘を入内させる構想を持っていたが、頼通や皇太后藤原彰子の同意は得られず、教通との関係も微妙になった。長久2年(1041年)には「弘徽殿女御歌合」を主宰した。
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藤原生子の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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