戦国時代の公家である三条実教は、正親町三条家の当主として13歳で家を継いだ。天文20年(1551年)、先代の当主・三条公頼が大内義隆と共に殺された後、養子として家を継ぎ、従四位上・左近衛中将に任じられた。しかし、わずか16歳で早世し、その後三条家は一度断絶した。永禄12年(1569年)に実教の親族である実綱によって再興されたが、実教の存在は歴代当主から抹消された。理由は不明であるが、以後の当主名から「実」の通字が消えた。江戸時代に創始された花園家と再興された小倉家の祖とされる人物は、実教の子とされるが、実際には実教の子ではない。彼らの実父については詳細が不明である。











