鎌倉時代前期の公家であり歌人。正三位・中宮亮を歴任し、大宮三位入道とも称された。建久4年(1193年)に従五位下に叙爵され、翌年には美作守に任じられる。その後、中務少輔や左兵衛佐、中宮亮などを歴任し、承久元年(1219年)に従三位となり公卿に列する。寛喜元年(1229年)には正三位に至る。歌人としては藤原定家に師事し、『新古今和歌集』や『新勅撰和歌集』に和歌が収められる。後に葉室光俊らと共に御子左派への対抗勢力を形成し、『蓮性陳状』でその立場を主張した。嘉禎4年(1238年)、病により出家し、蓮性と名乗った。











