江戸時代後期の公卿であり、安政勤王八十八廷臣の一人。文政5年(1822年)に叙爵し、文政10年(1827年)に元服すると、累進して嘉永4年(1851年)には左近衛権少将に任じられた。安政2年(1855年)には孝明天皇の行幸に際し、供奉を務めた。安政5年(1858年)、岩倉具視らと共に日米修好通商条約への勅許に反対し、幕府の画策を阻止したが、この行動が原因で安政の大獄に連座した。明治元年(1868年)には従三位参議となり、新政府では参与を務めた。明治16年(1883年)に64歳で薨去。子が家督を継ぎ、後に子爵位を叙爵された。



