系譜で辿る日本史

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勧修寺顕彰かしゅうじあきてる

勧修寺顕彰

勧修寺家26代当主

氏族藤原北家勧修寺流庶流坊城家
生没1815年 - 1861年
位階正四位上
官職
幕府職

江戸時代後期の公家である勧修寺顕彰は、文政7年(1824年)に元服し、天保元年(1830年)に侍従となった。養父・勧修寺経則の後継者問題で家臣と対立し、最終的に仁孝天皇の尚侍であった叔母の介入で解決を図るも、財政困難や後継者問題で心身に支障をきたした。天保14年(1843年)に蔵人に任じられたが、問題が続き弘化3年(1846年)に失脚。その後、安政4年(1857年)に左中弁に復帰し、廷臣八十八卿列参事件に関与。安政6年(1859年)には正四位上に叙せられたが、48歳で病没。墓は京都市中京区の誓願寺にある。

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