寛平2年(890年)生まれの淳祐は、平安時代中期の真言宗の僧である。般若寺の観賢に師事し出家、延長3年(925年)に伝法灌頂を受け、真言宗小野流の法を継承。足に障害があり病弱であったため、醍醐寺寺主就任を辞退し、石山寺普賢院に隠棲する。普賢院で多くの書物を著し、真言密教の事相の発展に寄与した。延喜21年(921年)、師・観賢と共に高野山奥の院御廟で弘法大師の膝に触れ、妙香の薫りが手に移り一生消えなかったと伝えられる。この薫りは淳祐が書写した経典にも移り、「薫の聖教」と称された。天暦7年(953年)7月2日に没する。

