平安時代初期から前期の貴族で、武芸に秀でていた。承和10年(843年)、左近衛将曹に任命され、文徳朝で左近衛将監に昇進。斉衡4年(857年)には従五位下となり、地方官として伯耆介や駿河介を歴任。貞観2年(860年)には山城介、貞観4年(862年)には武蔵介を務める。貞観8年(866年)に従五位上となり、右近衛少将に昇格。大宰少弐として新羅の海賊対策を行い、貞観14年(872年)大宰大弐に昇進。元慶3年(879年)には従四位下・陸奥守となるが、翌年大和守として赴任し、任地で没した。枯れた左近桜を再生させた逸話がある。

