平安時代前期の歌人であった。40歳を過ぎるまで無官であったが、和歌に優れ、多くの歌合に出詠した。寛平9年(897年)に土佐掾、翌昌泰元年(898年)に少内記、延喜4年(904年)に大内記に任命される。紀貫之や壬生忠岑とともに『古今和歌集』の撰者となったが、完成前に没する。『古今和歌集』には45首が収められ、他の勅撰和歌集にも計64首が入集されている。寛平年間に禁中で行われた歌合では、「春霞かすみて往にし雁がねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に」という歌を詠み、その評価が出世のきっかけとなった。歌集に『智則集』がある。



