法名・道蘊としても知られる鎌倉時代後期の御家人で、甲斐国山梨郡の牧荘を治める。嘉元3年(1305年)には鎌倉から夢窓疎石を招いて浄居寺を再興する。正中元年(1324年)の正中の変では、後醍醐天皇の倒幕計画に関わる誓書の判読を止めた。元徳元年(1329年)、持明院統と後醍醐天皇の対立に際し、持明院統側に有利な調停案を提示するが、北条貞顕から批判される。元徳2年(1330年)には甲斐に恵林寺を創建し、引付頭人や守護を務める。元徳3年(1331年)には後醍醐天皇の譲位を促す使者として上洛し、千早城攻めに参加。政所執事として得宗・北条高時を補佐するが、建武元年(1334年)に処刑される。享年68。











