平安時代後期から鎌倉時代中期の武士。鎌倉幕府で評定衆を務めた。久寿2年(1155年)に誕生し、京で検非違使となったことから山城判官と呼ばれる。鎌倉では侍所の検断奉行として活躍し、和田合戦では北条方の軍奉行を務めたとされる。戦功により相模国大井荘を与えられる。建保6年(1218年)、源実朝の左近衛大将任命に際し、長井時広の帰還願いを取り次ぐ。翌年、実朝の暗殺後に出家し、行西と名乗る。嘉禄元年(1225年)から評定衆となり、伊勢国益田庄地頭を務め、嘉禎4年(1238年)に同地で没した。
主な祖先
二階堂行村の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















