平安時代中期の公卿である。安和元年(968年)に文章得業生となり、以後、播磨権少掾や兵部丞を歴任し、天延2年(974年)には従五位下・相模権守に叙任される。花山朝では永観2年(984年)に懐仁親王(後の一条天皇)の東宮学士に任命され、一条天皇即位後には従四位下に昇進。その後も順調に昇進を続け、長徳2年(996年)に参議兼右大弁となり公卿に列する。六朝に仕え、最終官位は権中納言正三位。空を見上げる癖から世間では「仰ぎ中納言」と呼ばれた。長和2年(1013年)に70歳で薨去。
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