室町時代後期から戦国時代にかけての武将で、下野宇都宮氏の家臣。芳賀氏は清原氏の後裔で、下野国の有力武士団・清党の棟梁。永正9年(1512年)、宇都宮成綱による謀殺事件後の宇都宮錯乱では、成綱に助命され宇都宮城に拘留された。成綱没後は、甥の芳賀高経と協力し、宇都宮忠綱を追放。興綱の代に重臣として台頭し、失った権力を取り戻した。天文元年(1532年)、高経や壬生綱房と共に興綱を隠居させ、尚綱に家督を継がせた。天文10年(1541年)、高経の反乱が失敗すると、高孝もその係累として最期を遂げたとされる。海潮寺や成高寺への寄進も行った。











