戦国時代の武将、宇都宮忠綱は下野の宇都宮氏第18代当主。父・成綱が築いた宇都宮家中の支配体制を引き継ぎ、永正期には芳賀氏との対立を始めとする家中の内紛に巻き込まれた。永正9年(1512年)には父の隠居後、当主の地位に就くが、実権は父が握っていた。永正11年(1514年)の竹林の戦いでは佐竹氏や岩城氏に勝利し、下野宇都宮氏の全盛期を迎えるも、大永3年(1523年)の猿山合戦で敗北し、城を奪われた。大永7年(1527年)に31歳で没し、一説には家臣の裏切りにより暗殺されたとも伝わる。忠綱の死後、宇都宮氏は内紛が続き、その影響は後の世代にも及んだ。











