南北朝時代の武将である富樫昌家は、加賀国の守護として活動した。幼少時に父の後を継ぎ、一族の補佐を受けつつ成長した。正平21年(1366年)に元服し、名を昌家と改めた後、加賀の経営を守護代に委ね、足利義詮や義満に仕えるため上洛した。正平24年(1369年)には、幕命を受け反幕府勢力の桃井直和を討伐し、越中での戦いで勝利を収めた。しかし、幕府内の抗争により立場が不安定になり、元中4年(1387年)に死去した。死後、加賀の守護職は斯波義将に奪われ、一時的に富樫氏の手を離れた。昌家の子は幕府に反抗して滅ぼされ、富樫氏の嫡流は弟の系統に移った。






