安土桃山時代に生きた明智光慶は、明智光秀の長男であるとされる。通称は十五郎で、光秀の書状にもその名が見られる。彼の諱については諸説あり、正確な名は不詳である。光慶は光秀が築城した丹波国・亀山城に関与していたが、初陣や明確な功績の記録はない。天正10年(1582年)、光秀主催の連歌会で最後の句を詠んだとされる。本能寺の変の際には、亀山城で病死した説と、坂本城で一族と共に自害した説がある。生存説もあり、僧になった可能性も指摘されているが、信憑性には欠ける。そのため、光慶の生涯には多くの謎が残っている。





