田村顕彰は江戸時代後期から幕末にかけて活躍した旗本で、一関藩主家の分家である田村家の第7代当主。文化3年(1806年)に養父の家督を継ぎ、文政4年(1821年)には書院番士となる。天保9年(1838年)に禁裏付として京都に上り、天保13年(1842年)には京都町奉行を務めた。弘化3年(1846年)に江戸へ戻り作事奉行、嘉永6年(1853年)には勘定奉行に就任。安政2年(1855年)には御三卿田安徳川家の家老となり、安政4年(1857年)には大目付として活躍。家禄は万延元年(1860年)に2000俵まで増加。文久2年(1862年)に西丸留守居を辞任する。











