安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した女性で、三春城主・田村清顕の娘として生まれ、伊達政宗の正室となる。12歳で政宗に嫁ぎ、政宗の暗殺未遂事件で乳母が殺害されるなどの事件があったが、夫婦関係は修復され、四人の子をもうけた。京都聚楽第の伊達屋敷では、外交官的役割を果たし、政宗へ情勢を報告する手紙を送っている。寛永13年(1636年)に政宗が死去すると仏門に入り、陽徳院と称した。承応2年(1653年)に86歳で死去し、瑞巌寺に隣接する陽徳院に葬られる。生前、実家の田村家の再興を願い出ており、死後、息子の忠宗により田村家が再興された。





















