筑前福岡藩第6代藩主として、元禄から明和の時代にかけて藩政を担った。正徳4年(1714年)、従兄の福岡藩主黒田宣政の養嗣子となり、同年に元服して継高と改名した。享保4年(1719年)に家督を相続し、享保の大飢饉後の窮民対策など藩政改革に尽力した。特に吉田栄年・保年父子を登用し運上銀の改定を行い、一定の成果を収めた。能楽を愛し、盛大な能会を催したことでも知られる。晩年には後継者問題に直面し、幕府の打診により徳川家治の従弟を養子に迎えた。安永4年(1775年)に福岡城で死去した。彼の藩政は福岡藩に長い影響を与えた。
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黒田継高の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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