室町時代から戦国時代にかけての武将・僧である斎藤妙椿は、幼少時から出家し、善恵寺で修行を積んだ。長禄4年(1460年)、甥の斎藤利藤を後見するため加納城へ移り、持仏堂を設けた。室町幕府奉公衆となり、従三位権大僧都に昇進する。応仁の乱では西軍として戦い、美濃国内を平定し、勢力を拡大。文明10年(1478年)には尾張への出兵も行った。文明12年(1480年)に68歳で死去し、瑞龍寺に葬られた。死後、養子斎藤利国と甥斎藤利藤の間で争いが起こる。斎藤利藤と同一人物とされてきたが、後に利永の弟であることが確認された。




