美濃の戦国武将である。幼少時に父と祖父が戦死し、叔父たちが家を継ぐ。美濃守護土岐政房に仕えるが、後継問題で対立が生じる。永正14年(1517年)、頼武を推す利良と頼芸を推す政房・長井長弘との間で合戦が勃発し、利良が勝利。翌年再び合戦が起き、今度は頼芸派が勝ち、利良は越前に亡命。朝倉孝景の支援で美濃に再侵攻し、頼武が守護となる。守護代として活動するが、永正18年(1521年)以降は目立たず、天文7年(1538年)に死去。殺害されたとされる。
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