戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名として活躍。織田信長の馬廻として仕え、1万5000石(もしくは2万3000石)を給される。本能寺の変後、父と共に信濃国飯山城の救出に赴く。以後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣となり、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに参加し、功績により知行を加増される。天正13年(1585年)、従五位下・兵庫頭に叙任され、飛騨国の一国支配を任される。天正15年(1587年)、九州平定に従軍するも、家督は異母弟が継ぎ、美濃国清水に1万2000石を与えられ大名となる。文禄・慶長の役では名護屋城に在陣し、秀吉の晩年には御伽衆を務めた。慶長3年(1598年)に死去。




