江戸時代末期の高家旗本であった織田信愛は、天保2年(1831年)に徳川家慶に御目見し、後に家督を相続した。安政3年(1856年)には高家に就任し、従五位下に叙任された。慶応2年(1866年)には陸軍奉行並、翌年には海軍奉行並となり、勝海舟らと開陽丸を受け取る。戊辰戦争では草風隊の隊長として新政府軍に抵抗し、その後、会津若松城に入り息子と輪王寺宮に拝謁した。明治2年(1869年)に謹慎を解かれ、北海道開拓使に雇われた。晩年は帝室博物館に勤務し、勝海舟の斡旋で酬恩義会の事務も担当した。明治24年(1891年)に死去し、広徳寺に葬られた。





