内藤隆世は戦国時代の武将で、大内氏の家老である内藤氏の当主。父の早世後、天文20年(1551年)に祖父から家督を継承。大内義長に仕え、長門守護代を務めた。弘治元年(1555年)の厳島の戦いには参加せず、その後の内紛で陶氏旧臣の求めに応じて出陣。山口市街での激戦で重輔を討ったが、この内紛が大内氏をさらに弱体化させた。毛利氏の勢力拡大に対抗するも、家臣の裏切りにより山口を維持できず、長門の勝山城で最後の抵抗を試みる。結局、毛利氏の条件を受け入れ、切腹して開城した。その後、大内氏は滅亡し、内藤氏の嫡流も断絶したが、一部は毛利家に仕えて存続した。

