系譜で辿る日本史

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内藤興盛ないとうおきもり

内藤興盛

周防大内氏重臣

氏族藤原北家秀郷流
生没1495年 - 1554年
位階従五位下
官職 下野守
幕府職室町幕府長門守護代

戦国時代の武将で、大内氏の重臣として大内義興、義隆の2代に仕える。長門国守護代や評定衆を務め、家中随一の大身の重臣となる。天文9年(1540年)の吉田郡山城や同11年(1542年)の月山富田城の戦いに参陣し、武功を立てるが、義隆との関係は冷却化。天文20年(1551年)の大寧寺の変では陶隆房を支持し、義隆からの和睦要請を拒否する。後に隠居し、天文23年(1554年)に死去。武将としての信望が厚く、文化人としても知られ、フランシスコ・ザビエルとの交流もあった。彼の死後、内藤氏一族は分裂する。墓所は山口県山口市の善生寺。興盛の血筋は毛利氏の家臣として存続した。

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主な祖先

藤原秀郷

19親等祖先

内藤興盛の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

養父
    配偶者
    主な子孫

    秋元春朝

    13親等子孫

    毛利元周

    12親等子孫

    樋口誠康

    13親等子孫

    毛利五郎

    9親等子孫

    橋本実麗

    10親等子孫

    一条美賀子

    11親等子孫

    毛利広鎮

    7親等子孫

    吉川経健

    10親等子孫

    秋元志朝

    8親等子孫

    橋本夏子

    12親等子孫