周防国岩国領の3代領主として、江戸時代前期に活動。元和7年(1621年)に生まれ、寛永元年(1624年)に証人として江戸に上る。将軍徳川家光に御目見した後、帰国し改名を重ねた。病弱であったため京都で療養し、学問と京風を学び、狩野探幽らと交流した。治績として、瀬戸内沿岸の干拓による耕地拡大や領札の発行がある。最大の功績は、延宝年間に錦帯橋を架けたことで、特に延宝2年(1674年)の工事は緻密で、橋は第二次世界大戦後まで流失せずに耐えた。延宝7年(1679年)に59歳で死去。
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吉川広嘉の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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