江戸時代末期、周防国岩国領の第12代領主であった。父の死去により家督を継承し、藩校・養老館を創設するなど領地の発展に尽力した。本家の長州藩毛利家との関係改善に努め、幕末の動乱期には幕府と長州藩との間で仲介役として活躍した。特に第一次と第二次長州征伐では、功績を挙げ、幕府軍を撃退するなどの貢献を果たした。長州藩との交渉を詳細に記録した『周旋記』を残した。死去の際にはその事実が秘匿され、新政府により城主格の諸侯として認められた。最終的に岩国藩6万石の藩主という吉川氏の悲願を実現した。墓所は山口県岩国市の洞泉寺山墓地にある。








