江戸時代中期の大名で、周防国徳山藩の5代藩主。享保6年(1721年)、兄・元堯が早世したため養子として跡を継ぐが、実際には元服前だったため、公年を偽って幕府に届け出る。嗣封時は幼少だったため、長府藩主の毛利匡広が後見役を務めた。享保7年(1722年)に「広豊」と改名し、徳山藩再興後に政務を行う。宝暦8年(1758年)に家督を次男の広寛に譲って隠居し、安永2年(1773年)に死去。享年65だが、公には69歳とされた。多くの子供をもうけた。
主な祖先
毛利広豊の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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