江戸時代前期から中期にかけての大名で、長門国長府藩6代藩主。延宝3年(1675年)に生まれ、天和3年(1683年)に父の跡を継いで清末藩主となる。享保3年(1718年)に長府藩を再興し、3万8千石を分地された。藩主家を継いだ際に諱を匡広と改めた。藩政では財政再建を目指し倹約令を発布したが、享保の大飢饉で被害を受け、一層の倹約を余儀なくされた。農業の奨励にも尽力した。絵画にも通じ、自画像を残している。享保14年(1729年)に55歳で死去。五男の親就が跡を継いだ。菩提寺は黄檗宗の覚苑寺。
主な祖先
毛利匡広の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















