江戸時代後期の大名である。幼名は万次郎。江戸で生まれ、父の死去に伴い叔父の毛利元運の養嗣子となる。弘化2年(1845年)に叙任され、嘉永5年(1852年)に毛利元運の跡を継ぐ。藩政では大森海岸や相模湾の警備を強化し、砲台の設置を行った。幕末には長州藩主・毛利敬親の補佐役を務め、異国船対策に尽力。櫛崎城から勝山御殿へ政庁を移した。元治元年(1864年)の下関戦争では4カ国連合艦隊との戦いに参加。慶応4年(1868年)に家督を養嗣子・毛利元敏に譲り隠居、同年に死去。享年42。明治24年(1891年)に従三位を追贈される。墓所は下関市長府の覚苑寺。











