江戸時代中期の大名である。長府藩第10代藩主を務め、従五位下・甲斐守に叙任された。長門国長府藩の藩主として、兄が嗣子なくして若死にしたため家督を継ぐ。安永3年(1774年)に正式に叙任され、天明3年(1783年)には父・重就の嘆願により幕府から城主格に昇格。藩財政再建を目的に節倹条例や奢侈禁止令を出し、文武の発展を推進するため藩校・敬業館を設立した。寛政4年(1792年)、江戸で死去し、長男の元義が跡を継いだ。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺と山口県下関市長府の功山寺にある。
主な祖先
毛利匡芳の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫












