江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した大名で、越中富山藩の第12代藩主。藩政では文武を奨励し、植桑や織物技術の導入、人材刷新、新田開発などの改革を試みた。しかし、安政2年(1855年)の大火や凶作により財政が悪化し、金札の増発を試みたが金融混乱を招いた。江戸派と結託し藩内の派閥争いを繰り広げたが、父・利保との対立に敗れ、安政4年(1857年)に政務から退くことを強制された。安政5年(1858年)の飛越地震で領内が被災し、翌年には家督を養子の利同に譲り隠居した。明治37年(1904年)に70歳で死去した。











