万延元年(1860年)に越後村松藩の藩主となる。家督を継いだ直後の幕末期に尊王論が藩内に広まり、尊王攘夷派と軍制改革派が形成される。慶応2年(1866年)に起こった村松七士事件により藩政は混乱。戊辰戦争では、明治新政府を支持する正義党と対立し、佐幕保守派の彼は奥羽越列藩同盟に参加。明治元年(1868年)に官軍と戦い、村松城が落城した後に米沢藩に逃亡。同年には新政府に謝罪と謹慎を申し入れる。しかし、新藩主に擁立された安五郎により村松藩は降伏、直賀は隠居を命じられ、家督を譲る。明治10年(1877年)に奥田姓に改め、明治36年(1903年)に死去。








