安土桃山時代の武将である。天文18年(1549年)に生まれ、父の死を受けて天正3年(1575年)に家督を継ぐ。織田信長の勢力が因幡国に拡大する中で、尼子氏の遺臣を仲介に毛利氏から離反し、織田氏へ接近。天正8年(1579年)、重臣の山田重直の居城を攻撃し、毛利氏と決裂した。秀吉による鳥取城攻撃では毛利氏の救援を妨害し、城の早期陥落に寄与。天正10年(1582年)、毛利氏の攻撃で羽衣石城が落城するも、天正12年(1584年)の和睦で所領を回復し、以後は秀吉に従う。九州征伐に参加し、天正15年(1587年)には従五位下・右衛門尉に任じられる。天正19年(1591年)に43歳で病没した。



